田舎暮らし50代女の中二病闘病記

50代にして中二病を発症した女の日常( ノД`)

更年期障害・更年期うつに悩む全ての人へ その4

いろんなパターンがある 4人の女性を紹介

4 Cさんの場合

それはGWが終わる頃。

Cさんの死に、誰もがショックを受けました。

 

CさんはBさんよりも早く就職されたパートさんでした。

いつもと同じように履歴書を見る権限があった私はCさんの人物像を頭に描きます。

 

お顔からするにだいぶきつそうな感じを受けます。

それと同時に華やかさもあるので、

私より2つ下ですが若いころはそれなりにやんちゃだった印象です。

そしてなんといっても職務経歴書が特徴的でした。

これまでの経歴は一つの会社に長い方なのですが、

ひとつひとつの業務内容の最期に必ず自信を持ったフレーズがありました。

(こんなことまでできるのよ、的な)

かなりの自信家とお見受けしました

仕事も遊びも両方できる強者といったところでしょうか。

ご結婚されているそうなのでこれで家事も完璧なら怖いものなしです。

 

そんなCさんですが、初日の更衣室や着替えなどの説明のみで、

私が仕事を指導することはありませんでした。

初日に覚えた違和感を私は忘れません。

 

更衣室で着替えの説明をしている時、制服への着替えなのでさらっと終わると思っていると、ひとつひとつの動作に疑問点があるような表情を浮かべます。

そりゃあ初めて行った会社の制服に着替えるんですから、何かしらおかしいと思うところがあって不思議ではないのですが、40過ぎた大人です。さらっと流せばいいものを・・・その表情が何と言うか・・・

子供のように感じてしまいました。

そんな違和感は最後まで続きました。

 

そして夏の繁忙期がやってきて、またまたヘルプに入ることになった私は、

Cさんの本質というか、本性というか、本質を目の当たりにします。

・指示された仕事ができない。(理由はやりたくない、汚い仕事がしたくない)

・手が空くととんでもなく関係のない仕事をはじめる。

・男性従業員とのおしゃべりを堪能する。

・忙しくなると露骨に不機嫌になる。

といったとことろです。

もしかして・・・

多動?的な印象を受けました。

 

その後、彼女が通勤時に送迎をしている古参のパートさんからいろいろな情報が聞きたくもないのに入ってきました。

職場で手が空くと男性店長や男性従業員とおしゃべりばかりしてるとか、

前職でライオンズクラブのような社長を引退された方々が集う団体に勤務しており、

その時にお知り合いになった元社長様とたまにデートを楽しんでいるだとか、

(そういった事を余り親しくもない人間にしゃべってしまう人間性なのだと感じました。)

 

彼女の悪評はところどころから湧いて出ましたが、

私的には「まあ仕事に来てもらっているだけでありがたく感じよう。」

「きっと年齢に精神が追い付いていなくて、

この年になってもまだ若い時のような行動がしたい変わった人なんだと思おう。」

という風にとらえて、何ら話をすることもなく、日々は過ごしていきました。

一度だけ、やはり彼女も腱鞘炎ぽい症状があるらしく、相談を受けたことがありましたが、私ほど重症化していないようで本人もさほど気にはしていない様子でした。

 

翌年の4月、GWの直前、Cさんは急に欠勤続きになりました。

直属の上司に問いただすと、「体調がものすごく悪くてしばらく休むとの連絡があった」とのことでした。

古参のパートさんからは、「最近、言ってることがものすごくおかしい」

位にしか聞いていなかったので、単なる疲れか体調不良で、少しすればまた前のように大きな態度の彼女が見れるのだと思っていました。

 

そして忘れもしない、彼女が休みだして10日後の朝、

「Cの主人ですが、店長さんを」

という1本の電話を受けました。

しばらくして、店長が事務所に入ってきました。

「Cさんが亡くなった」

 

 

結局、死因は自殺という事でした。

うつ病のような症状があったことも後から色んなとことから聞こえてきました。

前々から季節の変わり目にはそういった症状が出ていた事もいろんなところから聞こえてきました。

 

それから一週間、なぜ彼女は自ら命を絶ってしまったのか、

考えない日はありませんでした。

そして私なりにたどり着いた答えは、

彼女は年を取っていく自分とこれからも続くであろう苦しい日々に耐えられなかったのだと思いました。

 

若いころ、特に活発な生活を送っていた彼女だからこそ、年齢とともに衰えていく身体に精神が追いつかず、自滅的な考えになっていったのかなと思いました。

 

そして、こうした体験を踏まえて、

今更年期うつで悩んでいる方に一言だけ言わせてください。

「年をとるということを認めてください」

若いころのように抗ってみても状況は何も変わりません。

素直に、ストレートに自分の身体が老いていくことを認めてあげて、

休ませてあげることが一番だと思います。

彼女のようになりたくなくて、退職し休んでいる私がいます。

人それぞれ状況が違うので休ませ方も違ってくるとは思います。

でも死んでしまうよりはましだとつくづく思います。

生意気なことを書いてしまって、申し訳ないですが、

彼女のような人が一人でも少なくなればいいと願っています。

 

5 今悩んでる人へ につづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

更年期障害・更年期うつに悩む全ての人へ その3

いろんなパターンがある 4人の女性を紹介

3 Bさんの場合

 

Bさんは途中でパートで就職された方です。

履歴書を見る権限があったので見させてもらうと、

私と出身校、出身学科が同じで年齢も3歳下ということで親近感を覚えました。

職歴は長くて3年、しかも様々な職業に就いていて、中では同じところにもう一度

就職しています。

臨機応変スキルと多様性を感じます。

そして何よりもものすごく綺麗な字。書道師範の免許を持たれています。

丁寧な仕事ができる人だと感じました。

そんな彼女ですが、他部門のヘルプに入っていた私が指導することになりました。

 

初日から一生懸命にメモを取り、わからないことに関して質問をぶつけてくる彼女に仕事への真摯さを感じました。

そして5日も経つと、ひとつの仕事を任せられる位に成長してくれました。

「Bさんすごいね!覚えは早いし丁寧だし。」

私の褒めて伸ばす作戦を発動させます。

しかし彼女はいつも謙遜します。

そこがまた人格の良さを感じます。

そして一通りレクチャーし、独り立ちできるようになるまで一か月。

ものすごく速い仕上がりに、もうじきヘルプから離れる私は大満足し、

彼女に少しプレッシャーじみたような言葉を投げてしまいました。

「Bさん、パートさんたちの中で一番成長速いから、これからも頑張ってね。」

頑張っている人に頑張ってと言ってしまう浅はかな私がいました。

 

それからの彼女は外側から見ても本当に頑張っていました。

汚い仕事をする人間が多い部署でしたが、

彼女が出勤してくれているせいでいつも清潔に保たれていました。

そうしてある事件がおこった翌月、彼女のシフトは休みだけになり、

一週間後、退職していきました。

理由は腱鞘炎でした。

最期に診断書を提出するのと制服を返却しに来た彼女と話をしました。

もう2~3か月位前から重いものを持つと激痛が走り、

業務に絶対必要な器具も落としてしまうほどだったとか。

医者からは手を使うなと言われてしまったが、

今後どうしていけばいいのか、とか。

 

きっと彼女は頑張りすぎてしまったんだと思います。

その時私は彼女に無責任な言葉を投げかけたことに猛烈に反省していました。

「ごめんね、頑張れとか言って・・・。」

「いやいや、ふくふくさんのせいじゃないですよー。

あの状況だと私が頑張らなきゃって思っちゃったので・・・。」

彼女もまた頑張りすぎてしまう人でした。

 

同じ病気を患っている私の事を話し、注射や手術を勧めました。

彼女は旦那様も大きい子供さんもいたので、

家事などは極力協力してもらうこと、一人で背負わない事、

などをアドバイスしました。

旦那さんの理解がなければ、

(例えば夕食は必ず手作りでなければいけないとか、シャツは必ずアイロンがかかっていないといけないとか、朝出勤する前には掃除が終わっていないといけないとか、

自分がやるわけではないのに他人に対する要求が多いとか)

絶対に自分がダメになっていくよ、的な話もしました。

 

その後、彼女がどうなったのかはわかりません。

 

更年期、特に私たちの年代は、両親から受け継いだ呪縛のようなものがあります。

私がそうでしたが、母はものすごく倹約家で、食事はなるべく手造り。

そして物を捨てるのはもったいない、という信念があり、雑巾ひとつにとっても本当にボロボロになるまで使うような人でした。

父は、旬のものを食べるのが好きな人で、母が仕事で疲れ切って帰っても、旬の食材があると手料理を迫るような人でした。

彼女のご家庭がそうだったのかはわかりませんが、

躾というのは時に素晴らしく、時に残酷なものだと思います。

 

特に私たちの母親の世代は戦後初めて女性が社会に進出しだした最初の頃で、

嫁いだ先には昔ながらに女は家事をしっかりやるもの、という姑の存在がありました。

仕事に子育てに家事に本当に懸命に取り組んだ母親世代を私たちは見てきました。

それゆえに、

「お母さんができて私ができないはずは無い」

という気持ちも大きくなると思います。

 

私や彼女の出来事を通して、

親からの呪縛から脱却する大事さ

を感じました。

旬のものは食べなくても死なないし、雑巾はボロボロになったら捨ててもいい。

だって、頑張ってるのに辛いんだから、私だって休んでもいい。

お母さんと比べなくてもいい。私は私なりの人生を送りたい。

 

Cさんの場合 へつづく

 

 

 

更年期障害・更年期うつに悩む全ての人へ その2

いろんなパターンがある 4人の女性を紹介

 

2 Aさんの場合

Aさんは上海出身です。

性格は、勝気さと繊細さがミックスされた、私は好きなタイプの女性です。

職場では日本語が完ぺきではないという点から、

「仕事はできるのにちょっとズレがち」という場面が多く、

持ち前の勝気さから、自分の非を認めない部分もあり、

周りのみんなからは少し敬遠されている状態でした。

しかし、プロ意識はとても高く、仕事に向かう姿勢は誰よりも真摯でした。

 

そんな彼女に異変が見られだしたのは人事異動で上司が異動、

彼女がサブリーダーになった頃からでした。

同僚でしたが常に同じ職場ではなかったので、

言葉を交わすのも一日に数分、全く合わない日もありましたが、

会えば彼女の口をついて出てくるのは職場の愚痴ばかり。

私は分かる気がしました。

以前にも書きましたが会社はものすごい底辺ブラック。

そもそも彼女がなるまで女性の中間管理職なんていません。

会社の

「昇進させてやったんだから今まで噛みついてきた分自分が働かなきゃ~

(ニヤニヤ)」

的な面倒くさいこと丸投げ状態。

日に日に彼女が病んでいるのが目に見えてわかる日が続きました。

 

「もう体調悪くて・・・」

顔を合わせればそんな言葉が毎回出る彼女ですが、

決して休もうとはしません。

そしてある日、突然サブリーダーを降ります。

私は理由は聞きませんでしたが、答えはわかっていました。

それまで上司の隙をついて指摘したり、

自分のほうができる的な行動をとっていた自分が、

今度は

「できて当たり前でしょ?サブリーダーなんだから」

という立場に耐え切れなかったんでと思います。

 

その後彼女は一週間の有休を取り、

退職願いを出しました。

 

彼女の体調がどのくらい悪かったのか、

個人的にやり取りしていたわけではないのでわかりませんが、

笑顔が消えてしまっていたのは分かりました。

 

退職後、風のうわさで再就職したことを聞きました。

そんなある日、近所のスーパーでばったり彼女に出会いました。

「元気?」

「元気元気~!もうストレス全くなくて絶好調!」

彼女は満面の笑みで答えてくれました。

体調もすこぶる良いようで、

連休が取れたら九州にいる息子さんのところへ会いに行くのだと楽しそうに語ってくれました。

「やっぱり辞めて正解よ。

ふくふくさんも頑張りすぎだから気を付けて。」

という言葉をかけてくれました。

 

更年期にものすごいストレスを感じてそのストレスと戦っている方は多いと思います。

確かに何かを放り出して逃げてしまうのはよくない事です。

でも自分を救ってあげる為に逃げるのであれば、

私はそれは逃げではないと思っています。

それは「救済」だと。

 

3 Bさんの場合 へつづく

 

更年期障害・更年期うつに悩む全ての人へ

いろんなパターンがある 4人の女性を紹介

 

今回、このタイトルで書き、一番伝えたかったことをまとめたいと思います。

 

目次

1 私の場合

2 Aさんの場合

3 Bさんの場合

4 Cさんの場合

5 まとめ 今悩んでるひとへ

 

それぞれ前の職場の同僚たちでした。

そして今では皆会社にはいません。

4人には4人なりの事情・環境・人生があります。

更年期障害や更年期うつなどで悩んでいる人たちに少しでも響くような形になればいいと思います。

1 私の場合

私が

「あれ?更年期?」

と思い始めたのは整理が止まり、少し経ってからでした。

主な症状としては

・午後からのとんでもない疲労

・顔のほてりと発汗

・人付き合いの煩わしさと鬱屈感・気分の落ち込み

でした。

それと更年期症状にはあまり含まれないんですが、

更年期の女性がよくかかる腱鞘炎も経験しました。

中でも一番ひどかったのが

・人付き合いの煩わしさと鬱屈感・気分の落ち込み

でした。

性格上、誰にでも合わせられ話を聞くのが得意だったんですが、

それが日に日に億劫になり、そして立場上それに答えてあげなくてはという気持ちと

それができない自分をどんどん追い込んでいきました。

そしてある事件をきっかけに人に囲まれて生きていく人生が猛烈に嫌になり、

憂鬱な気持ちで毎日を過ごしていました。

「このままでは何も変わらない」

ひとまず会社を辞めてゆっくり休む決断をしたのでした。

それからの日々というのは、もう毎日が楽しくて楽しくて更年期なんてどこかへすっ飛んで行ってしまったような気分が続いています。

やっぱり私にとっての一番のストレスは人間関係だったんだなってつくづく思います。

そして、自分軸で生活が送れていなかった事も。

会社員である安定よりも、休息を選択した自分に今は感謝しています。

 

Aさんの場合 へつづく

 

年をとるということ⑤ 生きてるだけで疲れるんです

20代と一緒に働く

 

現在無職ですが、生活の足しにコンビニでバイトしてます。

(ほんとはきちんと就職しないといけないんですけどね・・・)

nogamiena.hatenablog.com

 

私がバイトしているコンビニの店員の年齢層は

20代7割50代~3割

なんです。

シフトで各時間帯3人体制で回すようになってるんですが、

夕方から働いてる私の時間帯には当然20代が入っている訳です。

最初のうちは

「ちょっと接客経験値高めの私」

アピールをしてたんですが、

最近は彼女らの接客態度・身のこなしの速さ

に圧倒されています。

前職で接客のヘルプに入っていた店舗は、

お客様には丁寧に、そして満足していただけるような旅を・・・ゆったりゆったり

みたいなのがモットーにあったのですが、

コンビニってとりあえずスピード重視

みたいなところがあって・・・

肉まんあんまんひとつをウォーマーから出す所作の速さと言ったらもう・・・

 

 

ここ3~4年は体が言う事をきかない、というか、

前と比べて考えてから行動に移すスピードの衰えをひしひしと感じていて、

同時にすぐ疲れてしまうことも感じていて・・・

これが更年期の現実。

生きてるだけで疲れてしまう。

 

っていう言葉がぴったりだな、とひとり帰りの車内で痛感したのでした。

 

 

 

年をとるということ④ パッカーンなあそこを見せられ

腱鞘炎手術への道③(完結)

前回 ↓

nogamiena.hatenablog.com

 

手術は13時からでした。

病院の昼休み時間に行うとのこと。

(休み時間内に終わるのってある意味すごい)

 

ベッドに寝かされ、ヨードやら麻酔薬やらをべたべたと左腕に塗られます。

そして腕の付け根を何という器具かわからない何かで

ぎゅうううううううううううう

と締め付けられます。

(この時点で手の感覚があまり無い)

次は麻酔の注射です。

1本目

「これ感覚あるかな?」

何かで何かされている感覚があります。

(この状態でメス入れられたらやばいぞ)

「感覚あります・・・」

「じゃ追加でもう一本いくね」

2本目

「これはどうかな?」

お、

今度は何も感じない!

「感じません」

「じゃあはじめます」

 

ちょっとの間があって、

「ちょっと指動かせるかな?」

「あ、はい」

「ていうかもう切ってるんだけどね」

 

なんですと?

まあさっき始めるって言ったし、そりゃそうだ。

ていうか、切られてる感覚皆無

(当たり前です)

 

そして先生は少し苦労しだします。

看護師さんたちを呼んで、

「わーこれ見てみなさい、結構悪くなっちゃってるから、

腱鞘がこんなに太くなっちゃってるよ、こりゃひどい」

「わーほんとですねー」

 

部分麻酔の手術の醍醐味が味わえてます。

そして、

「ちょっとこっち見れるかな、手のところ」

は?この私に見ろと?

見ろと言われれば見るけどさ、

と心の準備もおぼつかないまま・・・

パッカーン

と開かれた術中の傷口を見せらるのです。

 

骨やら皮やら筋やらが一気に眼中へ。

「ここね、ちょっと握ったりして」

腱を指しながら先生は言います。

「大分切開したから楽になるはずだけど」

本当だ。

握ったり開いたりできるし痛くない。

「痛くないです」

「よし、じゃあ縫ってくからあともうちょっとね」

とおそらく針で縫っているであろう感覚。

(痛さは無い)

 

「はい、終わり。明日は消毒に来て。

抜糸は10日後ね。あとは看護師から聞いて。」

とだけ残し、外来の診察へ向かう先生。

 

「明日は消毒へ来てください。抜糸までの間は濡らさないように、お風呂は控えてシャワーだけにしてくださいね。包帯の上から保護してシャワー浴びれますから。

あと、どんどん動かしてくださいね。固くなっちゃってるので。」

と包帯を巻きながら説明を受けました。

痛み止めを4錠(ロキソニン)もらい、

帰ってから今日だけはお酒を控えよう、と思う位の傷み具合で。

もっとギンギンな痛さを想像していた私は少し拍子抜けしました。

 

その後、10日で抜糸になりました。

私的には抜糸をした後のほうがつらかったような気がします。

抜糸直後

一~二か月後

 

たった今 だいぶきれいになりました

抜糸自体は痛くないんですが、無理をして動かして開いちゃわないか、

とか、まだ実際少し痛みがあるし、むしろ傷口を触るなんてこと到底できませんでした。

 

しかしまあ、

時の流れというのは全てを解決していってくれるようで。

今では傷口にも触れるし、

手術前より動かせるようになったし、

もっと早く手術しておけばと思う位です。

 

腱鞘炎はもちろん職業的に手を酷使する人もなりますが、

圧倒的に多いのは女性ホルモンの減少による筋膜の硬さが原因だそうです。

(更年期、出産後が多いそうです)

どのお医者様も言われるのが

「手を使わないように」

ですが、

手を使わないで生きている人間がいたら教えてほしい位です。

なので、私は少しでも痛くなくなるよう、

腱鞘炎防止のストレッチなんかも試してみたりしました。

 

でも結局症状は出ます。

 

まとめ

女性ホルモンの低下を早いうちから防いでいくのが効果的かなと思います。

でも、ホルモン療法やらホルモン剤やらに頼りたくないという方は

豆乳を毎日飲んでみるのもいいかも。

(私はやってないです)

 

腱鞘炎の事でお悩みの方がいらっしゃったらコメント下さい。

少しお力になれるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

年をとるということ③ 初めて入れます

腱鞘炎手術への道②

 

前回までのお話↓

nogamiena.hatenablog.com

③だか②だかややこしくてスマヌ・・・

(スマヌ自体懐かしい)

 

病院は地元の総合病院出身の先生が開業した整形外科で、

わりと腱鞘炎手術やバネ指の手術は定評があるらしい。

注射をするたび手術を勧められていたけど、

仕事に穴があいてしまうのと、

初めて体にメスを入れる怖さ

で2年も延ばし延ばしにしていた私・・・。

 

もう退職する日も自分で決めていたので、

「手術したいです」

ってお願いした時にはすんなりと手術日の予定が決まりました。

手術日は9月21日。

退職は9月15日。

今5月末。

 

長い・・・長すぎる。

まあ、退職理由を「腱鞘炎の悪化」

にしてあるから引継ぎ3か月見積もって、長くなるのはしょうがない。

 

それからの仕事は、現場のヘルプにはいっさい入らず、

ただひたすら事務のマニュアル作りに専念しました。

7月中旬からは有休消化。

そして待ちに待った退職の日♪。

そして・・・・・

いよいよやってきた9月21日。

果たして初めて体にメスを入れる私の運命やいかに!?