田舎暮らし50代女の中二病闘病記

50代にして中二病を発症した女の日常( ノД`)

更年期障害・更年期うつに悩む全ての人へ その3

いろんなパターンがある 4人の女性を紹介

3 Bさんの場合

 

Bさんは途中でパートで就職された方です。

履歴書を見る権限があったので見させてもらうと、

私と出身校、出身学科が同じで年齢も3歳下ということで親近感を覚えました。

職歴は長くて3年、しかも様々な職業に就いていて、中では同じところにもう一度

就職しています。

臨機応変スキルと多様性を感じます。

そして何よりもものすごく綺麗な字。書道師範の免許を持たれています。

丁寧な仕事ができる人だと感じました。

そんな彼女ですが、他部門のヘルプに入っていた私が指導することになりました。

 

初日から一生懸命にメモを取り、わからないことに関して質問をぶつけてくる彼女に仕事への真摯さを感じました。

そして5日も経つと、ひとつの仕事を任せられる位に成長してくれました。

「Bさんすごいね!覚えは早いし丁寧だし。」

私の褒めて伸ばす作戦を発動させます。

しかし彼女はいつも謙遜します。

そこがまた人格の良さを感じます。

そして一通りレクチャーし、独り立ちできるようになるまで一か月。

ものすごく速い仕上がりに、もうじきヘルプから離れる私は大満足し、

彼女に少しプレッシャーじみたような言葉を投げてしまいました。

「Bさん、パートさんたちの中で一番成長速いから、これからも頑張ってね。」

頑張っている人に頑張ってと言ってしまう浅はかな私がいました。

 

それからの彼女は外側から見ても本当に頑張っていました。

汚い仕事をする人間が多い部署でしたが、

彼女が出勤してくれているせいでいつも清潔に保たれていました。

そうしてある事件がおこった翌月、彼女のシフトは休みだけになり、

一週間後、退職していきました。

理由は腱鞘炎でした。

最期に診断書を提出するのと制服を返却しに来た彼女と話をしました。

もう2~3か月位前から重いものを持つと激痛が走り、

業務に絶対必要な器具も落としてしまうほどだったとか。

医者からは手を使うなと言われてしまったが、

今後どうしていけばいいのか、とか。

 

きっと彼女は頑張りすぎてしまったんだと思います。

その時私は彼女に無責任な言葉を投げかけたことに猛烈に反省していました。

「ごめんね、頑張れとか言って・・・。」

「いやいや、ふくふくさんのせいじゃないですよー。

あの状況だと私が頑張らなきゃって思っちゃったので・・・。」

彼女もまた頑張りすぎてしまう人でした。

 

同じ病気を患っている私の事を話し、注射や手術を勧めました。

彼女は旦那様も大きい子供さんもいたので、

家事などは極力協力してもらうこと、一人で背負わない事、

などをアドバイスしました。

旦那さんの理解がなければ、

(例えば夕食は必ず手作りでなければいけないとか、シャツは必ずアイロンがかかっていないといけないとか、朝出勤する前には掃除が終わっていないといけないとか、

自分がやるわけではないのに他人に対する要求が多いとか)

絶対に自分がダメになっていくよ、的な話もしました。

 

その後、彼女がどうなったのかはわかりません。

 

更年期、特に私たちの年代は、両親から受け継いだ呪縛のようなものがあります。

私がそうでしたが、母はものすごく倹約家で、食事はなるべく手造り。

そして物を捨てるのはもったいない、という信念があり、雑巾ひとつにとっても本当にボロボロになるまで使うような人でした。

父は、旬のものを食べるのが好きな人で、母が仕事で疲れ切って帰っても、旬の食材があると手料理を迫るような人でした。

彼女のご家庭がそうだったのかはわかりませんが、

躾というのは時に素晴らしく、時に残酷なものだと思います。

 

特に私たちの母親の世代は戦後初めて女性が社会に進出しだした最初の頃で、

嫁いだ先には昔ながらに女は家事をしっかりやるもの、という姑の存在がありました。

仕事に子育てに家事に本当に懸命に取り組んだ母親世代を私たちは見てきました。

それゆえに、

「お母さんができて私ができないはずは無い」

という気持ちも大きくなると思います。

 

私や彼女の出来事を通して、

親からの呪縛から脱却する大事さ

を感じました。

旬のものは食べなくても死なないし、雑巾はボロボロになったら捨ててもいい。

だって、頑張ってるのに辛いんだから、私だって休んでもいい。

お母さんと比べなくてもいい。私は私なりの人生を送りたい。

 

Cさんの場合 へつづく