田舎暮らし50代女の中二病闘病記

50代にして中二病を発症した女の日常( ノД`)

年をとるということ② こんな日には古傷が痛むぜぃ

腱鞘炎手術までの道①

 

勤労感謝の日、皆さんいかがお過ごしでしょうか?

私は勤労してないので感謝されない身なんですけど・・・(笑)

 

せっかくの休日なのに雨、しかも寒いときてます。

こんな天候の日は腱鞘炎の手術跡が痛みます・・・( ノД`)

 

前回、腱鞘炎の注射 ↓

nogamiena.hatenablog.com

まで書きました。

その後・・・・・

  • 半年後に左手に症状が出て注射をし、
  • その半年後にまた右手に症状が出て注射をし、
  • その半年後に左手に症状が出て注射をし、

右手2回、左手2回の

限度額ギリギリまで借りてしまった

借金ジャー

みたいになりました。

先生から告げられていた最終通告。

「注射は2回まで。あとは手術ね」

とうとうギリギリまで追い込みをかけられた私・・・・

「しょうがない、次痛くなったら手術すっか」

と自己破産を免れた債務整理者になったのでした。

(何故借金に例える)

そんなこんなで今年5月、

とうとう症状が現れ、

私は覚悟を決め病院へと向かうのでした。

 

③へつづく

 

 

見積もり頼んでみた

果たして個人所有の福祉車両はいくらで売れるのか?

 

今から5年前に買った  トヨタ シエンタ 。↓

toyota.jp

 

当時は母が寝たきり状態になり、ストレッチャーでしか移動手段がなく、

病院→自宅 自宅→病院 の移動のたびに高額な福祉タクシー代がかかったり、

全然関係ない個人病院(日頃ショートステイでお世話になっていたところ)の送迎車両をお願いしてみたり、

とにかく私的には何をするにももどかしい状態でした。

 

「え~い、お母さんの為だ、車買っちゃえ!」

 

と短絡的な考えになり、検索に検索を重ねた結果、私が望んでいる範囲で買えて、

ストレッチャーが唯一載せられる車がトヨタ シエンタでした。

 

車いすもストレッチャーになる車いすを検索し、

似たようなものを福祉用具専門の会社にお願いしました。

 

それから約2年、熱が出るたびに前出の個人病院へ夜中に運んで行ったり、

腎臓結石で腎瘻を開ける手術の時には総合病院まで運んだり。

(ベッドからストレッチャーの移動って、

一人ではまず激務💦)

毎日毎日怒涛の日々で、

それに付き合ってくれた優秀な相棒のような車です。

 

そんなこんなで、

母もいなくなり、無職になったし、経費もかかるので軽に乗り換えようと・・・

やっと重い腰を上げました。

ここ最近、母の遺品をやっと処分できるようになってきたのと同時に、

 

「どこかでまだ生きてる」

 

という感覚が消えたので、車も手放す気になったんだと思います。

 

昨日、2社に見積もり依頼をしました。

1つは福祉車両買取専門、1つはふつーの買い取り専門店。

果たして、個人所有の福祉車両はいくらで売れるのでしょうか?

君に会えて幸せ

我が家には母の生まれ変わりの猫がいます

 

 

 

絶望にへたくそな手書き猫

絶望にへたくそな自画像

絶望にへたくそな窓際

実物

真面目に本当の話です。

 

母の葬儀が終わった翌日、溜まっていた仕事を片付けようと、

必死にモニターへ向かっていた私は

 

じーーーーーーーーーーーーーーー

 

ていう視線に気が付いて顔を上げました。

それが彼女との出会いです。

私は運命的なものを感じてすぐにでも飼いたかったんですが、

あまり猫好きではない父の意見も聞かねばと父に相談。

父は母がいなくなったのもあり、葬儀の翌日に出会ったこともあり、

二つ返事で飼う事を認めてくれました。

 

その後スクスクとマルマルと成長したふくさん。

まさに母の生まれ変わりのようなエピソードがあります。

母はものすごく倹約家でした。

ある日首輪をどこかへ引っかけて無くしてきたふくさん。

当然ご主人は

「あの首輪600円もしたから探してきて~」

と無理難題をふっかけます。

何日も何日も同じことを言われたふくさん。

とうとう一週間位たったある日、

首輪を咥えて戻りました。

 

父とふたりで

さすが!お母さんの生まれ変わり!

と絶賛しております。

 

※実話です

我が家のサウナ

サウナご紹介。整う整う♪

 

家にサウナがあります。

 

父親の自作でございます。

元々漬物小屋だったのを改装しました。

サウナ室内

サウナストーブ

最初はサウナテントが欲しいと言い出したのですが、

 

amazon見たら高っ

 

自作の軽キャン用コンテナ造り(また書きますね)

も終わり、

冬になってやることがないので、

断念通告も無視し、

何としてでも家にサウナが欲しい父は、

母が倒れてから何年も使用してなかった漬物小屋に目を付けたのでした。

 

薪割り機

薪も自分で切ります。

とても右半身麻痺が残った脳梗塞経験者

要介護3→自立

が作ったようには見えません。

薪さんたち

完成したのは約1年ほど前ですが、

父は毎日優雅に午後はサウナタイムで整っております。

整いコーナー

 

ちなみに・・・

サウナストーブ、ストーブの筒(なんて言うか忘れた)、水風呂、

サウナ温度計、二酸化炭素計測器、はamazon

薪切り機はカインズホームです。

総額20万以上かかりました。

(30万には届かず)

私もアバウトなもので金額うろ覚えです。

まあ、

何にもすることがなくてボケられるよりいいか、

と諦めてます。

 

私もたまに整っております。

面接行ってきた③

できない中間管理職の尻ぬぐいはもうまっぴらごめんなんだわ

はたして私の価値は…

条件書には前職の責任者をやっていた会社の基本給と同じ位の金額が載っていました。

もう辞退の書面送った後だったから未練もへったくれもないけど、

やっぱり予想通り、知り合いは私に過剰に期待を掛けていたのでした。

そもそも知り合いのほうからの話だったし、職務経歴書見て

「こいつならできるはず」

と思っただろうはいいんだけど、

私にはもう会社員として会社に尽くして働く情熱は微塵もない

ので、

悪いけど自分のために働けるとこ探すわ。

 

経営者が昭和の頭。

中間管理職は経営者の顔色ばかり見る。

従業員は会社のために働くのが当たり前。

女のくせに生意気な。

 

またあの悪夢のような日にカムバックしちゃわなくて良かった。

 

面接行ってきた②

はたして私の価値は?

とりあえず工場見学を終え、面接会場に戻った課長と私。

そこへ知り合い再登場。

「総務の上の人間と話したんだけど、

独身でいらっしゃるし、パートから社員っていう形じゃなく、

最初から正社員で働いてもらったほうがいいんじゃないかってことになって、

社員はどうですか?なにより途中で変えるのめんどくさいし。」

今まで2件も年齢で面接さえ断られていた私はふっと就職できなかったら

どうしよう…という思いがよぎり、

「ま、まあ私も同じ仕事をするならできるだけお金はいただきたいですから…」

とつい答えてしまい。

「じゃあ、条件書を送るので、それで検討してみてください。」

 

ようする業務改善が目的なんだとそのときひらめいた。

昔ながらのふっるいオペで仕事をしている業務課を知り合いは変革したいのだ。

(だって笑っちゃうほどありえないオペで作業してるから。

すごい非効率。)

しかし当の業務課長はのほほんとしていて業務改善なんて微塵も考えてないような感じ。

それにあの根拠のない

「大丈夫です!」

・・・・・

「とりあえず条件書を送っていただいて、考えさせていただけますか?」

とだけ返事し、逃げるように帰りました。

 

それから丸々二日間。

どうしても違和感がぬぐえない私は、

「やめとこう」

という決断に達していました。

私の価値を知ってからでも良かったのですが、

とりあえずこの違和感でモヤモヤ悩むのも嫌だったので、辞退の文書を作って送りました。

 

だって・・・

あの業務課長の下じゃおそらくオペの変更だって私に丸投げなんだろうし、

そもそもその変更なんて、今いる人員でできそうなものだし、

(PCスキルがある人間が少ないとか言ってたけど、今何とかなってるならマニュアル作るなり人材育成するなりしてどうでもなると思うし)

何より面接の最期のほうで給料の締め日を聞いたときに、

「25日締めの10日払いです。本当は月末締めに変えたかったんだけどみんなに反対されちゃって。」

という知り合いの言葉を聞いたとき、組合かなんか知らんけど、従業員がかなり強い会社だって感じてたから、

そんな中に新参者の私が入ってスムーズに業務オペ変更なんて絶対できっこないと誰でも想像がつくし。

そんなストレスやっと抜け出したのにまた同じことしなきゃいけないかと思うと…

いくら給料が良くても、今までと同じようにむきになって男性中間管理職と衝突して

ストレス抱えて病むのは目に見えていました。

そして辞退の文書を送ったその日の夕方、条件提示書が送られてきました。

はたして私の価値はいくら?

 

③に続く

 

面接行ってきた①

ひっさびさの面接

おととい、面接を受けてきました。

知り合いのつてで履歴書が欲しいとのことで、

今までの職務経歴も全て書き、

あんまり気乗りじゃなかったので、

「腱鞘炎のこともあるので、無理をせず働きたい」

と書きました。

そして、面接の連絡。

雇用条件や業務内容も一切わからないまま、

「ま、行くだけ行ってみるか」的な気持ちで受けました。

会社は老舗の金属加工工場。

まあ、ブラック中小企業あるあるで、

社内のすれ違った人間、

誰一人会釈もありません。

そして面接する会議室へ。

 

知り合いは総務なんですが今回私が採用になりそうな部署は業務課でした。

その業務の課長さんが主に面接官だったのですが、

積極的に採用したい知り合いに対し、課長さんはどこ吹く風のような対応。

そして私がパート希望だと告げると、ほっとしたような表情に。

そして遅れて社長さん登場。

あ、いや社長って名乗ってもらってないんですが周りの空気を察するに社長。

これがまたコテコテの中小企業の社長~って感じの人。

「パートで?ああいいんじゃない?」

的な感じでとりあえず現場見学へ。

老舗の工場は昔務めてたからシステムはわかるけど、

とりあえずつぎはぎつぎはぎで建てられた建物群に昔の嫌な思い出がよぎります。

(また機会があったら書きます)

 

そして通されたここが仕事場になるとの事務所のような部屋。

「ここで発注書を元に工程指示書を出してもらって、

納品書の入出力とかしてもらいます。

工程指示書は部品につけて現場へ回します」

つーか、腱鞘炎あって重いもの持てんってさっき言ったよね。

見るからに部品の入ってるコンテナ10~20㎏位あるけど…

的なことを指摘したら、

「大丈夫です!入社してもらったら、システムの入出力に専念してもらうように

現場へ運ぶのは各担当者に任せればいいんです!」

ほんとか?

「大丈夫ですかね…」

「大丈夫です!」

 

現場のオペを変えるのは

至難の業だって知ってる私は

ものすごく違和感を覚えました。

「それだけだと多分時間が余るので、こちらの検査の補助もやってもらおうかな」

と品質管理のようなプレハブに通され、

「ここの検査の機械は最新で環境にも配慮しなきゃいけないから、

ここは社内一環境がいいんですよ」

とエアコンを指さす課長。

・・・・・

不安しかないんですが・・・

 

②へ続く